王寺町 成年後見人--王寺町弁護士事務所の窓から

2016-04-16


奈良県王寺町の弁護士、中西達也法律事務所でございます。

久しぶりのブログアップです。4月も半ばを過ぎました。
後見人日誌として,前回から3名の方が施設に入所されたり,退所したり…2名の方の入院手続き…通常の財産管理以外の外出及び面接が多くなかなかゆっくりと机に向かう事ができませんでした。
入所退所など,居所が替わると生活が100%変わります。面会をこまめにおこなうことで,ご本人様の精神的負担が軽くなると同時に快適にお過ごしができるよう,生活備品などを整えています。

何が見えるの、看護婦さん、あなたには何が見えるの
あなたが私を見る時、こう思っているのでしょう
気むずかしいおばあさん、利口じゃないし、日常生活もおぼつかなく
目をうつろにさまよわせて
食べ物はぽろぽろこぼし、返事もしない
あなたが大声で「お願いだからやってみて」といっても
あなたのしていることに気付かないようで
いつもいつも靴下や靴をなくしてばかりいる
おもしろいのかおもしろくないのか
あなたの言いなりになっている
長い一日を埋めるためにお風呂を使ったり食事をしたり
これがあなたが考えていること、あなたが見ているものではありませんか
でも目を開けてごらんなさい、看護婦さん、あなたは私を見てはいないのですよ
私が誰なのか教えてあげましょう,ここにじっと座っているこの私が
あなたの命ずるままに起き上がるこの私が、
あなたの意志で食べているこの私が、誰なのか,

わたしは十歳の子供でした。父がいて、母がいて
きょうだいがいて,皆お互いに愛し合っていました
十六歳の少女は足に翼をつけて
もうすぐ恋人に会えることを夢見ていました
二十歳でもう花嫁。守ると約束した誓いを胸にきざんで
私の心は躍っていました
二十五歳で私は子供を生みました
その子たちには安全で幸福な家庭が必要でした
三十歳、子供はみるみる大きくなる
永遠に続くはずのきずなで母子はお互いに結ばれて
四十歳、息子たちは成長し、行ってしまった
でも夫はそばにいて、私が悲しまないように見守ってくれました

五十歳、もう一度赤ん坊が膝の上で遊びました
愛する夫と私は再び子供に会ったのです
暗い日々が訪れました。 夫が死んだのです
先のことを考え――不安で震えました
息子たちは皆自分の子供を育てている最中でしたから
それで私は、過ごしてきた年月と愛のことを考えました

いま私はおばあさんになりました。自然の女神は残酷です
老人をまるでばかのように見せるのは、自然の女神の悪い冗談
体はぼろぼろ、優雅さも気力も失せ、
かって心があったところには今では石ころがあるだけ
でもこの古ぼけた肉体の残骸にはまだ少女が住んでいて
何度も何度も私の使い古しの心は膨らむ
喜びを思い出し、苦しみを思い出す
そして人生をもう一度愛して生き直す
年月はあまりに短すぎ,あまりに遠く過ぎてしまったと私は思うの
そして何ものも永遠ではないという厳しい現実を受け入れるのです

だから目を開けてよ、看護婦さん――目を開けてみてください
気むずかしいおばあさんではなくて、「私」をもっとよくみて!
(2005年4月8日 株式会社朝日新聞社初版第1刷発行 著者 パット・ムーア、 訳者 木村治美、 発行者 原 雅久)

この本の中で、彼女のもとにイギリスのヨークシャーの老人病院で働いている看護師から送られてきた手紙に添えられていた詩を紹介しています。その病棟で一人の老婦人が亡くなり、彼女の持ち物を調べた看護師が一篇の詩を見つけました。
その詩がわたくしに与えるもの…いつも心に留めて,わたくしたち事務局に出来る事…面会に行き,目と目を合わせ,言葉を交わす…後見人として財産管理だけでなく,弁護士中西達也しかできない事を始終模索しています。

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